そうじゃなかったんだな人生

胸の中でずっとぐるぐるしている憂鬱を吐き出したい

ようやく「社会人」に足が引っかかった気がした。

 今日はまた一つ人生の転機となった日だと思うので簡単な日記を残しておく。

 

 私は本当に未熟な人間である。

 今までふんわりと見よう見まねで社会人をやっていた。友達、上司、同僚など立派に社会人をやっている人たちのようなしっかりした人間に自分はなれる気がしなかった。仕事の頑張り方、職場での振る舞い方がわからず、キャリアも思ったように積めず、そもそもキャリア以前の未熟さ故の問題が多すぎた。自分は社会不適合者だと嘆いてみたり、過去の努力不足だと後悔してみたり、挙げ句の果てには親の育て方を恨んだりまでしていた。

 

 そんないい年をして子供のままのどうしようもない自分であったが、今日「社会人の階段を上れた」とはっきりと実感したことがあった。

 

 それは「顧客とのトラブルの原因が自分が数日前に軽率にとった行動だったかもしれない」という出来事だ。

 キーワードは「軽率」と「かもしれない」である。

 私の行動が原因だったのか真偽は確かめようがない。ただ、後から確かめようがないことを軽い気持ちでしてしまい、誰も真相がわからなくなり、結果組織全体に迷惑をかけてしまったことで私は初めて仕事に伴う「責任」というものの重さを知った。

 

 今更だ、とか遅すぎる、とか当たり前だ、という感想は承知の上である。「責任」というものが仕事にはついて回ると意識してはいたものの、己の経験不足から私にとってそれは捉えどころがなくずっとふわふわしたものだった。

 それが今回組織に多大な迷惑をかけ、その発端が自分の記憶から消えてしまうほどの軽率な行動だったかもしれないということで、私は非常に冷や汗をかいた。

 あくまで「かもしれない」の話なので真相はわからない。後からわからなくなるほど軽率に行動した自分を激しく恨み、過去を後悔し、深く反省した。しかし私は狡い人間なので上司たちが現状や対処法を話し合っている間、マスクの下で青い顔をしながらも「そのことを知っているのは自分だけなのでこのまま黙っていたらバレないんじゃないか」と保身のことばかり考え、素知らぬふりをした。

 しかしその後どうにも気分が悪い。冷や汗が出る、動悸がする、良心の呵責に苛まれて苦しい。声も震え上司の顔もまともに見れない。この具合悪さを家に持ち帰ったらきっと眠れないだろうし一生心の中に苦しいものを抱えたままであろうと感じた。

 結局、己の苦しみから解放されるために上司に打ち明けた。注意は受けたが上司は許してくれた。恐らく自分が原因であると思うが上司は証拠がないのであなたのせいじゃないと言ってくれた。

 退勤後もしばらく心は軽くならず、冷や汗が出ていた時の感覚が続き、気分が悪かった。 

 今回の件で自己を反省し、やっと気づいた。自分がいかに無責任に仕事をしていたかという事を。そして実感した。これが責任か、と。

 社会のなんたるかを知らないままなんとなくで社会人になり、ずっと学生気分のまま手探りで仕事をしてきたが、やっと「社会人」としての感覚を掴めたように思う。組織に迷惑をかけてしまい、自分自身も落ち込んだが今回の反省を通してこの先はちゃんと社会の一員としてしっかり仕事をやっていけるのではないかという自信も湧いてきた。 

 たとえ下っ端でも自分が組織の一員として行っていることは全て責任が発生し、些細なことでもミスがあればその組織全体の落ち度となる。細かいと思ってしまうようなルールでも全て組織の秩序を守るための理由があるのである。

 自分の行動の一つ一つに伴う責任について重く認識し、また明日からは新たな心構えで仕事に挑もうと思う。